Demolition 雨の日は会えない、晴れた日は君を想う Comment -コメント-
身近な人を失って初めて知る本当の自分。その本当の自分は容赦なく、いままでの自分をぶち壊す。ぶち壊し、ぶち壊されてなお、もう一度立ち上がろうとする人間の姿が美しい、と思いました。人間は一度はぶち壊れないと真っ直ぐに立てない、歩けないのだと知りました。 町田 康(作家) 冷蔵庫やパソコンや妻、内側を知らないまま毎日接していたら、ある日突然、妻を失ってしまう。配偶者を亡くしたときに、人の心がどう動くのか。それを軽快に見せてくれる。 山崎ナオコーラ(エッセイスト・小説家) 主人公の壊れていく過程が、危うくも清々しく、不思議な解放感を覚えた。遅すぎた愛が切ない。 島本理生(作家) 静かに壊れていく主人公の姿がどこか詩的で美しく、人生は単純に勝ち負けや幸不幸ではないと思えてきました。 辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト) 『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』という不思議なタイトルの映画を観た。妻を亡くした男の子物語とは凡庸なと思いつつ、物語は大きくカーブして僕をはたく。映画はそのタイトル通りの映画だった。僕らはずーっと失ってばかり。その度に破壊して再生する繰り返し。あぁ、そうか 愛とは気づくことなのか。 大谷ノブ彦(ダイノジ、DJダイノジ) 無自覚に流れて行く日常を振り返させてくれる映画です。ふと、立ち止まった時に人は何を考え、何を見るのかを教えてくれる映画です。ナオミ・ワッツが変わらない静かな狂気を孕んだ演技が嬉しい。 廣木 隆一(映画監督) 優しくない世界。優しくない主人公。そんな作品を楽しむ優しくない自分。でも、優しいは見つけづらいだけで、本当はすぐそこにあると教えてくれる。 吉田 恵輔(映画監督『麦子さんと』『ヒメアノ〜ル』) すべてをぶち壊さなければやり直せない人生もあるのだ。時間軸が交差し、記憶を巡るような構成と対面しながら「その気持ち、よく分かる」と思った。 松江 哲明(ドキュメンタリー監督) 大小様々な破壊を並べて人が走り出すための導火線を探すような映画だった。人間なんてそんな簡単に成長するものでもないのが現実だ。しかしこの映画の最後に仕掛けられた驚くほど大きくて小さな破壊は、等身大の成長をもたらすに相応しいサイズだったのだろうと思う。あとは、映画館を出た私たちが走り出せばそれでいいのだ。 深田 晃司(映画監督) 良い映画と悪い映画の違いについてよく考える。良い生き方と悪い生き方の違いについて考える。良い死に方と悪い死に方の違いについても。きっと私の好きな人は、私よりも早く死ぬ。五分五分の賭けを一緒に生きているのが今だとして、どうか映画みたいに生きてね、人間みたいに死んでも良いよ。 山戸 結希(映画監督『溺れるナイフ』) ジェイク・ギレンホールへ また貴方のことが好きになりました。貴方が演じる役がどうなってしまうのか一時も目が離せず心配したり安堵したりハラハラしたりしました。破壊のシーンは圧巻でしたか怪我してませんか?いつも大変な撮影が多そうですがお身体に気をつけて下さい。「雨の日はあえない、晴れた日は君を想う」大好きな作品です。また観に行きます。特に困ったことはありませんがもし私のことが気になったら夜中に電話下さい。 柳 英里紗(女優) 明るめの映画を観て予想する流れとは違ったテイストを次々と展開していく。自分の人との接し方や関係を考えさせられるとても新鮮でリアルな映画 栗原 類(モデル) 破壊せよ、破壊せよ。突然の災厄に感覚が停止し、痛んだ心が流す涙を止めるにはとりあえず過去をぶっ壊すしかないのだ。破壊せよ、破壊せよ。破壊からしか新しい自分は生まれず、晴れる明日は来ないのだから。いわばジェイク・ギレンホール版『ファイト・クラブ』みたいなもんだ! ミルクマン斎藤(映画評論家) 「ご冥福をお祈りします」なんてテンプレで片付くわけがない。なのにみんな、失った想いまで型に合わせて生きている。何もかもぶっ壊す型破りな悼み方で、見えていなかった世界と自分に気付く彼の物語に、私たちも少し壊されてみよう。 ブルボンヌ(女装パフォーマー/ライター) 主人公のとった手段は決して荒療治なんかじゃない。一見乱暴に映るかもしれないけれど、これは再生へ向かって進んでゆく正しい姿なのだ。”喪失”という現実に向き合う為の準備を無我夢中でしている主人公の姿が心に焼きついて離れない。 maegamimami(イラストレーター) 「喪った」と口にしても現実感がないから、どうしていいかわからず無謀な行動に出てしまう。でも本当はそんな大きな言葉ではなく、ささやかな日常に哀しみはあったはずなんだ。人間の心の不思議をゆるやかにたどっていくような物語だった。 佐々木 俊尚(作家・映画ジャーナリスト) 向かい合うと辛すぎる体験や感情への対処法の一つは「ない」ものにすることです。その場合、それらは無意識の領域に「ある」ので、自分はその存在を認識できません。でも多くの場合、それらはその人にとって大切な、その人の欠片です。欠けたままだとバランスが悪く、苦しいのですが、欠片の存在は「ない」ので気づかず、出口が見えません。そんな欠片が、ふと見つかった時、深い赦しや癒しとともに涙が流れるのだと思います。この作品は、観た人それぞれの欠片を少しだけ意識させるような、癒しの作品だと思いました。 星野概念(精神科医・ミュージシャン) 絶望の底で初めて気づく。いつしか壁に囲まれていたと。日常の輪郭を縁取るあの柔らかな光のあたたかさを。喪失と発見、そこからの回復が優しく、僅かな微笑みと共に描かれている。人生の節々で、この先何度も見返すことになるだろう。古川 耕(放送作家/ライター) 喪失のあとにさえ続く何不自由ない日常はあまりにも残酷。だからって失った人を想って泣くことだけが正しいの?傷みに無自覚でいることを選んでしまう人のそれでも闘っていることを、そういう人に寄り添う者があることを、誰が否定できるのだろう。涙ひとつこぼせないまま叫び続けていた101分を、全肯定したいと思った。この映画を観てすぐには泣けなかった自分とともに、生きていこうと思えた。 木村 綾子(作家、本屋B&Bスタッフ) 人は、人に対して容易く「自分に正直に生きよう」なんて言うけれど、そもそも「自分」って、そんなにしっかりと固まっているものなのだろうか。正直に生きたら、人は自分が分からなくなるのかもしれない。ガラスの割れる音が、壁のぶっ壊れる音が、こんなに優しく響く作品もない。 武田砂鉄(ライター) 〈弱さ〉を抱えた人々を、本作は魅力的に切り取っている。脆い心と、自由な勇敢さによって、主人公は感情を取り戻していく。過去の〈破壊〉は、〈再生〉への力強い一歩。さあ走り出そう! 文月 悠光(詩人) 痛みに気づくにはいくらかの勇気がいる。けれどそれらをきちんと感じられたとき、意外にも人は清々しい気持ちになれるのだろう。登場人物たちの「再生の兆し」を見届けるのは、冬の朝に背筋を伸ばし新鮮な空気を心に広げる感覚に似ていた。 さえり(ライター) モノを壊すことと作ることは、同じことかもしれない。大事なのは始めること。100m先がゴールで、50mしか走れなくても、走ること。すると、50m先に次の一手のヒントがある。それは50m走らないと見えない。 草場 滋(メディア・プランナー) “悲しみ”といっても、それはひとつじゃない。人の数だけ悲しみがあり、そこから立ち上がる過程だって人の数だけあるはずなのだ。この作品は、ある男が喪失と真摯に、だがやや奇妙なやり方で向き合う旅を丁寧に追う。そうすることで、悼みを超えて生きていく人間の強さと美しさを、そして何かを失ってもなお続く人生にもいつか光が射すことを、驚くほど誠実に描き出すことに成功している。 牧口じゅん(映画ライター) 「おい、マジかよ?」と声を上げてしまうほどの、とんでもない展開に圧倒されつづけ、最後で心臓をやられた!ふと、この映画の原題は「Demolition(ぶっ壊す)」だったよなと気がついた。この映画、とにかく脚本がすごい。 金原 瑞人(法政大学教授・翻訳家) 愛の形はいろいろあるんだなぁ…と感じました。「愛はありました、おざなりにしていただけで・・・」という主人公のデイヴィスに、いろいろ考えさせられる映画でした。 宋 美玄(産婦人科医 医学博士)
身近な人を失って初めて知る本当の自分。その本当の自分は容赦なく、いままでの自分をぶち壊す。ぶち壊し、ぶち壊されてなお、もう一度立ち上がろうとする人間の姿が美しい、と思いました。人間は一度はぶち壊れないと真っ直ぐに立てない、歩けないのだと知りました。 町田 康(作家) 冷蔵庫やパソコンや妻、内側を知らないまま毎日接していたら、ある日突然、妻を失ってしまう。配偶者を亡くしたときに、人の心がどう動くのか。それを軽快に見せてくれる。 山崎ナオコーラ(エッセイスト・小説家) 主人公の壊れていく過程が、危うくも清々しく、不思議な解放感を覚えた。遅すぎた愛が切ない。 島本理生(作家) 静かに壊れていく主人公の姿がどこか詩的で美しく、人生は単純に勝ち負けや幸不幸ではないと思えてきました。 辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト) 『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』という不思議なタイトルの映画を観た。妻を亡くした男の子物語とは凡庸なと思いつつ、物語は大きくカーブして僕をはたく。映画はそのタイトル通りの映画だった。僕らはずーっと失ってばかり。その度に破壊して再生する繰り返し。あぁ、そうか 愛とは気づくことなのか。 大谷ノブ彦(ダイノジ、DJダイノジ) 無自覚に流れて行く日常を振り返させてくれる映画です。ふと、立ち止まった時に人は何を考え、何を見るのかを教えてくれる映画です。ナオミ・ワッツが変わらない静かな狂気を孕んだ演技が嬉しい。 廣木 隆一(映画監督) 優しくない世界。優しくない主人公。そんな作品を楽しむ優しくない自分。でも、優しいは見つけづらいだけで、本当はすぐそこにあると教えてくれる。 吉田 恵輔(映画監督『麦子さんと』『ヒメアノ〜ル』) すべてをぶち壊さなければやり直せない人生もあるのだ。時間軸が交差し、記憶を巡るような構成と対面しながら「その気持ち、よく分かる」と思った。 松江 哲明(ドキュメンタリー監督) 大小様々な破壊を並べて人が走り出すための導火線を探すような映画だった。人間なんてそんな簡単に成長するものでもないのが現実だ。しかしこの映画の最後に仕掛けられた驚くほど大きくて小さな破壊は、等身大の成長をもたらすに相応しいサイズだったのだろうと思う。あとは、映画館を出た私たちが走り出せばそれでいいのだ。 深田 晃司(映画監督) 良い映画と悪い映画の違いについてよく考える。良い生き方と悪い生き方の違いについて考える。良い死に方と悪い死に方の違いについても。きっと私の好きな人は、私よりも早く死ぬ。五分五分の賭けを一緒に生きているのが今だとして、どうか映画みたいに生きてね、人間みたいに死んでも良いよ。 山戸 結希(映画監督『溺れるナイフ』) ジェイク・ギレンホールへ また貴方のことが好きになりました。貴方が演じる役がどうなってしまうのか一時も目が離せず心配したり安堵したりハラハラしたりしました。破壊のシーンは圧巻でしたか怪我してませんか?いつも大変な撮影が多そうですがお身体に気をつけて下さい。「雨の日はあえない、晴れた日は君を想う」大好きな作品です。また観に行きます。特に困ったことはありませんがもし私のことが気になったら夜中に電話下さい。 柳 英里紗(女優) 明るめの映画を観て予想する流れとは違ったテイストを次々と展開していく。自分の人との接し方や関係を考えさせられるとても新鮮でリアルな映画 栗原 類(モデル) 破壊せよ、破壊せよ。突然の災厄に感覚が停止し、痛んだ心が流す涙を止めるにはとりあえず過去をぶっ壊すしかないのだ。破壊せよ、破壊せよ。破壊からしか新しい自分は生まれず、晴れる明日は来ないのだから。いわばジェイク・ギレンホール版『ファイト・クラブ』みたいなもんだ! ミルクマン斎藤(映画評論家) 「ご冥福をお祈りします」なんてテンプレで片付くわけがない。なのにみんな、失った想いまで型に合わせて生きている。何もかもぶっ壊す型破りな悼み方で、見えていなかった世界と自分に気付く彼の物語に、私たちも少し壊されてみよう。 ブルボンヌ(女装パフォーマー/ライター) 主人公のとった手段は決して荒療治なんかじゃない。一見乱暴に映るかもしれないけれど、これは再生へ向かって進んでゆく正しい姿なのだ。”喪失”という現実に向き合う為の準備を無我夢中でしている主人公の姿が心に焼きついて離れない。 maegamimami(イラストレーター) 「喪った」と口にしても現実感がないから、どうしていいかわからず無謀な行動に出てしまう。でも本当はそんな大きな言葉ではなく、ささやかな日常に哀しみはあったはずなんだ。人間の心の不思議をゆるやかにたどっていくような物語だった。 佐々木 俊尚(作家・映画ジャーナリスト) 向かい合うと辛すぎる体験や感情への対処法の一つは「ない」ものにすることです。その場合、それらは無意識の領域に「ある」ので、自分はその存在を認識できません。でも多くの場合、それらはその人にとって大切な、その人の欠片です。欠けたままだとバランスが悪く、苦しいのですが、欠片の存在は「ない」ので気づかず、出口が見えません。そんな欠片が、ふと見つかった時、深い赦しや癒しとともに涙が流れるのだと思います。この作品は、観た人それぞれの欠片を少しだけ意識させるような、癒しの作品だと思いました。 星野概念(精神科医・ミュージシャン) 絶望の底で初めて気づく。いつしか壁に囲まれていたと。日常の輪郭を縁取るあの柔らかな光のあたたかさを。喪失と発見、そこからの回復が優しく、僅かな微笑みと共に描かれている。人生の節々で、この先何度も見返すことになるだろう。古川 耕(放送作家/ライター) 喪失のあとにさえ続く何不自由ない日常はあまりにも残酷。だからって失った人を想って泣くことだけが正しいの?傷みに無自覚でいることを選んでしまう人のそれでも闘っていることを、そういう人に寄り添う者があることを、誰が否定できるのだろう。涙ひとつこぼせないまま叫び続けていた101分を、全肯定したいと思った。この映画を観てすぐには泣けなかった自分とともに、生きていこうと思えた。 木村 綾子(作家、本屋B&Bスタッフ) 人は、人に対して容易く「自分に正直に生きよう」なんて言うけれど、そもそも「自分」って、そんなにしっかりと固まっているものなのだろうか。正直に生きたら、人は自分が分からなくなるのかもしれない。ガラスの割れる音が、壁のぶっ壊れる音が、こんなに優しく響く作品もない。 武田砂鉄(ライター) 〈弱さ〉を抱えた人々を、本作は魅力的に切り取っている。脆い心と、自由な勇敢さによって、主人公は感情を取り戻していく。過去の〈破壊〉は、〈再生〉への力強い一歩。さあ走り出そう! 文月 悠光(詩人) 痛みに気づくにはいくらかの勇気がいる。けれどそれらをきちんと感じられたとき、意外にも人は清々しい気持ちになれるのだろう。登場人物たちの「再生の兆し」を見届けるのは、冬の朝に背筋を伸ばし新鮮な空気を心に広げる感覚に似ていた。 さえり(ライター) モノを壊すことと作ることは、同じことかもしれない。大事なのは始めること。100m先がゴールで、50mしか走れなくても、走ること。すると、50m先に次の一手のヒントがある。それは50m走らないと見えない。 草場 滋(メディア・プランナー) “悲しみ”といっても、それはひとつじゃない。人の数だけ悲しみがあり、そこから立ち上がる過程だって人の数だけあるはずなのだ。この作品は、ある男が喪失と真摯に、だがやや奇妙なやり方で向き合う旅を丁寧に追う。そうすることで、悼みを超えて生きていく人間の強さと美しさを、そして何かを失ってもなお続く人生にもいつか光が射すことを、驚くほど誠実に描き出すことに成功している。 牧口じゅん(映画ライター) 「おい、マジかよ?」と声を上げてしまうほどの、とんでもない展開に圧倒されつづけ、最後で心臓をやられた!ふと、この映画の原題は「Demolition(ぶっ壊す)」だったよなと気がついた。この映画、とにかく脚本がすごい。 金原 瑞人(法政大学教授・翻訳家) 愛の形はいろいろあるんだなぁ…と感じました。「愛はありました、おざなりにしていただけで・・・」という主人公のデイヴィスに、いろいろ考えさせられる映画でした。 宋 美玄(産婦人科医 医学博士)

(敬称略・順不同)