妻が死んで気がついた。彼女のことはよく知らない。 妻の突然の死。悲しくなかった。僕の心は何処へいってしまったんだ?置き去りにしてきた感情を取り戻すために、デイヴィスは身の回りのあらゆるものを壊し始める。“破壊”を経て辿り着いた、人生で本当に大切なものとは―。 喪失と哀しみ、そして再生を描いた物語。 本作は、『ダラス・バイヤーズ・クラブ』『わたしに会うまでの1600キロ』の監督、ジャン=マルク・ヴァレの待望の最新作。「僕は幸せを掴もうともがいている人に惹かれる。この映画は人生を再び始めるための、勇気いる旅路が美しかったんだ」と語り、何事にも無感覚になっている主人公の心の迷いに寄り添いながら、美しい映像と共にエモーショナルに描き切った。そして、『ナイトクローラー』で狂気的な演技で人々を魅了させたジェイク・ギレンホールが、妻を亡くし、自分を見失った空虚な男の脆さを、繊細な演技で見事に表現。その他、ナオミ・ワッツが、ジェイク演じるデイヴィスの心を溶かしていくシングルマザーを演じている。 Introduction 閉じる
Story デイヴィス(ジェイク・ギレンホール)は、出世コースに乗り、富も地位も手に入れたウォールストリートのエリート銀行員。高層タワーの上層階で、空虚な数字と向き合う、味気ない日々。そんな会社へ向かういつもの朝、突然の交通事故で美しい妻を失った―。しかし一滴の涙も出ず、哀しみにさえ無感覚になっている自分に気づいたデイヴィス。彼女のことを本当に愛していたのか?僕の心はどこにいってしまったんだ―?「心の修理も車の修理も同じことだ。まず隅々まで点検して、組み立て直すんだ。」義父からの言葉が引き金となり、デイヴィスは、身の回りのあらゆるものを破壊しはじめる。会社のトイレ、パソコン、妻のドレッサー、そして自らの結婚生活の象徴である「家」さえも―。あらゆるものを破壊していく中で、デイヴィスは妻が遺していた幾つもの“メモ”を見付けるのだが・・・ 閉じる
Cast
  • ジェイク・ギレンホール
  • ナオミ・ワッツ
  • クリス・クーパー
デイヴィス・ミッチェル ジェイク・ギレンホール Jake Gyllenhaal 1980年、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス出身。父親が映画監督のスティーヴン・ギレンホール、母親がプロデューサーで脚本家のナオミ・フォナー。そして、姉が若手女優マギー・ギレンホール。『シティ・スリッカーズ』(91)で俳優デビュー。『遠い空の向こうに』(00/ジョー・ジョンストン監督)で高い評価を受け、注目を浴びる。その後『ドニー・ダーコ』(02/リチャード・ケリー監督)で主人公を演じ、インディペンデント・スピリット賞にノミネート。『ブロークバック・マウンテン』(06/アン・リー監督)でアカデミー賞助演男優賞ノミネート、『ラブ&ドラッグ』(11/リチャード・ケリー監督)で、ゴールデン・グローブ賞主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)ノミネート、『ナイトクローラー』(15/ダン・ギルロイ監督)では、英国アカデミー賞やゴールデン・グローブ賞、インディペンデント・スピリット賞にノミネートされるなど、各作品の演技力が高い評価を受けている。その他の主な出演作品に、『ムーンライト・マイル』(03/ブラッド・シルバーリング監督)、『グッド・ガール』(04/ミゲル・アルテタ監督)、『ジャーヘッド』(06/サム・メンデス監督)、『ゾディアック』(07/デヴィッド・フィンチャー監督)、『マイ・ブラザー』(10/ジム・シェリダン監督)、『エンド・オブ・ウォッチ』(13/デヴィッド・エアー監督)、『プリズナーズ』(14/ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)、『複製された男』(14/ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)、『サウスポー』(15/アントワーン・フークア監督)、『エベレスト3D』(15/バルタザール・コルマウクル監督)などがある。
カレン・モレノ ナオミ・ワッツ Naomi Ellen Watts 1968年、イギリス・ケント州出身。『マルホランド・ドライブ』(02/デヴィッド・リンチ監督)で主役に抜擢、全米批評家協会賞主演女優賞をはじめとする多くの演技賞を受賞し、高い評価を受ける。日本でヒットしたホラー映画『リング』のハリウッド・リメイク作品『ザ・リング』(02/ゴア・ヴァービンスキー監督)で主演、世界的ヒットとともに人気を博す。『21グラム』(04/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督)、『インポッシブル』(13/フアン・アントニオ・バヨナ監督)でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。その他の主な出演作品は、『J・エドガー』(12/クリント・イーストウッド監督)、『ダイアナ』(13/オリヴァー・ヒシュビーゲル監督)、アカデミー賞(作品賞など)を受賞した『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(15/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督)、『ヴィンセントが教えてくれたこと』(15/セオドア・メルフィ監督)、『ダイバージェントNEO』(15/ロベルト・シュヴェンケ監督)、『追憶の森』(16/ガス・ヴァンサント監督)、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』(16/ノア・バームバック監督)などがある。
フィル・イーストマン クリス・クーパー Christopher W. Cooper 1951年、アメリカ・ミズーリ州生まれ。大学で演技を学び、大学卒業後NYへ渡り本格的な活動をスタート。ブロードウェイの舞台でデビュー。『アメリカン・ビューティー』(99/サム・メンデス監督)で厳格な元軍人の父親役を演じ高い評価を得る。その後、『アダプテーション』(02/スパイク・ジョーンズ監督)でアカデミー賞助演男優賞を受賞。その他の主な出演作品は、『大いなる遺産』(98/アルフォンソ・キュアロン監督)、『遠い空の向こうに』(99/ジョー・ジョンストン監督)、『パトリオット』(00/ローランド・エメリッヒ監督)、『カポーティ』(05/ベネット・ミラー監督)、『シリアナ』(05/スティーヴン・ギャガン監督)、『アメリカを売った男』(07/ビリー・レイ監督)、『カンパニー・メン』(10/ジョン・ウェルズ監督)、『ランナウェイ/逃亡者』(12/ロバート・レットフォード監督)、『アメイジング・スパイダーマン2』(14/マーク・ウェブ監督)などがある。
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Staff 監督 ジャン=マルク・ヴァレ Jean-Marc Vallée 1963年、カナダ・モントリオール出身。モントリオール大学で映画製作を学び、『Liste Noire(原題)』(95)で長編デビュー。カナダのアカデミー賞にあたるジニー賞で作品賞、監督賞を含む9部門にノミネート。自ら脚本も手がけた『C.R.A.Z.Y.(原題)』(05)は、トロント国際映画祭で最優秀カナダ映画賞に選ばれ、ジニー賞では作品賞、監督賞、脚本賞など11部門を制覇。『ダラス・バイヤーズクラブ』(13)は、数々の映画祭で評価され、アカデミー賞では作品賞を含む6部門にノミネートされ、主演男優賞・助演男優賞を受賞。『私に会うまでの1600キロ』(15)では、アカデミー賞主演女優賞・助演女優賞の2部門にノミネートされ話題を呼んだ。 脚本・共同プロデューサー ブライアン・サイプ 21歳の時に、『A Million Miles』(01)を共同脚本・監督を務める。その後、映画業界の入り込むためにハリウッドのバーで数年働いた後、本作の執筆にとりかかり、ザ・ブラックリストに(製作前の脚本をハリウッドのスタジオ重役らの人気投票によってランキングする)選出される。また、『あの日、欲望の大地で』(09/ギジェルモ・アリアガ監督)、『フライト』(13/ロバート・ゼメキス監督)、『わたしはマララ』(15/デイビス・グッゲンハイム監督)、の製作のウォルター・F・パークスが彼の指導者となり、パラマウントが製作するヒッチコックの名作『知りすぎた男』のリメイクの脚本へ起用。その他、ニコラス・スパークスの小説の映画化『きみがくれた物語』(16/ロス・カッツ監督)の脚本を手掛けている。  プロデューサー ラッセル・スミス 自身のプロダクション「ミスター・マッド」のパートナーである、ジョン・マルコヴィッチと共に、新しい才能や鋭い感性を持った脚本家を見抜く審美眼の持ち主として知られている。主な作品に、『ゴーストワールド』(01/テリー・ツワイゴフ監督)、『ヤング≒アダルト』(11/ジェイソン・ライトマン監督)、『JUNO/ジュノ』(08/ジェイソン・ライトマン監督)、『ウォール・フラワー』(13/スティーブン・チョボウスキー監督)などがあり、また約50本もの舞台のプロデュースも務めてる。 プロデューサー モリ―・スミス 主な作品に、『P.Sアイラヴユー』(07/リチャード・ラグラヴェネース監督)、『しあわせの隠れ場所』(10/ジョン・リー・ハンコック監督)、『ビューティフル・クリーチャーズ 光と闇に選ばれし者』(13/リチャード・ラグラベネーズ監督)、『サヨナラの代わりに』(15/ジョージ・C・ウルフ監督)、『はじまりのうた』(15/ジョン・カーニー監督)、『ボーダーライン』(15/ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)などがある。 撮影監督 イヴ・ベランジェ MV、CMなどで経験を踏んだ後、テレビドラマなどの長編、『わたしはロランス』(12/グザヴィエ・ドラン監督)、『ブルックリン』(16/ジョン・クローリー監督)などの撮影に携わる。そしてジャン=マルク・ヴァレ監督とは、『ダラス・バイヤーズクラブ』(13)、『わたしに会うまでの1600キロ』(14)に続き3作品目のタッグとなる。 閉じる
Director Interview 愛と喪失の熟考を装っているけど、人生を受け入れようという美しい隠喩なんだ 監督 ジャン=マルク・ヴァレ Jean-Marc Vallée
Q.映画化したいと思った理由は? A.ブライアンの脚本を読んだ時、このレベルの作品に出会うことは滅多にないと思ったんだ。好奇心を掻き立てられたし、ストーリーの行方を知りたいと思ったし、驚きがいっぱいだったし、大声で笑っていたし、どこに向かっていくのかさっぱり分からなかったんだ。普通は、何となく先が読めるんだけど、この作品は違って、驚きの連続だね。時に挑発的だけど、感動もする。最後まで読み終えて、深い感情を抱いている自分に驚いた。悲しいからではない。美しかったからだ。泣きそうになり、“何てステキなんだ”と思った。主人公がボードウォークを、知らない子供たちとかけっこをしている姿を想像すると…。そして競争に勝つ。大人なんだから、勝って当然なんだけどね。でもとにかく美しかった。人生を再び歩み始めるための、光を見つけるための、勇気いる旅路が美しかった。この作品は、苦悩について掘り下げているように思えるけど、実は人生や愛を称賛しているんだ。だから惹かれたのさ。 Q.なぜデイヴィスは何もかも解体させようとしたのでしょうか? A.隠喩なんだ。人間の心を理解したければ、車のように一度解体して組み立て直さないといけないと、彼の義父が言うんだ。それが引き金となる。何かを感じるために、本当にそれを実施しようとする。妻という身近な人を失ったのに、何も感じないなんて、どうしてしまったんだ?と不思議でならないのさ。周囲はみんな悲しみにくれているから、自分に問題があることは気付いている。彼は自分の世界を解体しているけど、本当は自分の心を解体したいんだ。何が起こっているのか知りたいんだ。“僕にも感じることができるのか?”と。すると、ナオミ・ワッツ演じるある女性が登場して、その20分後には彼女の息子が登場し、気が付いたらデイヴィスとその息子が関係を築いている。そのようにこの作品はどこに向かっているか、まったく読めないんだ。でもデイヴィスのことが気になって、彼のストーリーを追いたいと思う。せめて僕はね。観客もそうであることを祈る。デイヴィスは、仕事に行って、生活費を稼いで、住宅ローンを払って、妻がいて、車を購入して…という日々の生活に追われる以前の自分に戻ろうとする。事故を体験し、彼は子供のように振る舞うのさ。ナオミ・ワッツの役も子供のようで、共に人生の意味を探し始める。純粋な心を持ってね。とても複雑なストーリーに聞こえるけど、映画館に座って、どこへ向かっているかなんて考えなくても、特別な旅が体験できるはずだ。 Q.『ダラス・バイヤーズクラブ』も『わたしに会うまでの1600キロ』も同じテーマですが、行き場を失った心になぜ惹かれるのですか? A.僕は、幸せを掴もうともがいている人に興味があるんだ。僕も同じ苦しみを経験してきた。過去につらい時期があって、長い間、不幸せだった。映画の中で、“なぜ結婚したのか?”とデイヴィスに尋ねるシーンがある。それに対して彼は、“それが楽だったから”と答える。僕の答えも同じだった。僕たちは楽だからという理由だけで、ある道を選択することが多々ある。僕の妻は死んでおらず、離婚をしたんだけど、同じ感覚さ。でも、僕はデイヴィスのように、身の回りのモノを破壊しなかったけどね。彼は実存的危機に直面しているんだ。“妻を亡くしたが、彼女を愛していなかった。すごく悲しい出来事のように聞こえるけど、彼女がいなくなった今、苦痛も悲しみも感じない… 実際何を感じているのか?”と考えるんだ。その瞬間、彼は電車の緊急ブレーキを引く。そして彼はさらに考える。“やめろ。その疑問には答えない方がいい。なぜなら答えたら…それは危険だからだ。僕は自分の感情を恐れすぎている。今の人生はお金がすべてだ。妻は裕福な家庭に育った完璧な女性。家や、ポルシェやBMWという高級車や、カプチーノマシンや、キッチンを見てみろ。知らぬ間に完全に感覚が鈍くなっている。もはや何も感じない。物を買うという社会システムの一部であること以外は”と。この作品は簡単な映画ではなかった。作るにおいても、資金を集めるにおいても。苦悩と死について語るのは、挑発的かもしれない。でもブライアンの作品を世界に見てほしかったんだ。感情をさらけ出すことができる人々を称賛したかった。僕は幸せを表現したかったわけじゃない。人生はつらく、暗いものだ。僕は美しさを表現したかった。
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Jake Interview ジェイク・ギレンホール Jake Gyllenhaal
Q.デイヴィス・ミッチェルの役に惹かれた理由は? A.ブライアンの脚本を読んで、彼がすべての登場人物を尊重しているというのが気に入った。誰も一面的ではないんだ。さらにありきたりの展開を避けていて、キャラクターや出来事に対して、斜に構えた意外な形で向き合っているのにも惹かれた。脚本を読みながら、“ああ、大体わかった。この人物はこうして、あの人物はこうするんだろうな”と推測するんだけど、ブライアンは常に僕を驚かせて、全く違う方向に連れて行ってくれた。デイヴィスというキャラクターはすぐに理解できたよ。彼は、常識的に正しいとされることを常に選んできた。過去にも、今でも、デイヴィスのような人を多く知っている。モノやお金に捕らわれているんだ。でも人生の本物の豊かさというものを知らないのさ。『ダラス・バイヤーズクラブ』以前の『C.R.A.Z.Y』や『Café de Flore』を見て、すごく好きだったから、ジャン=マルクとは絶対に組みたいと思っていた。 Q.デイヴィスとの共通点はありますか? A.このキャラクターはある意味僕に近いと思う。彼が経験したようなことを、僕は体験していないから、確信は持てないけどね。でもここ何年も自分とは遠いキャラクターを演じてきて、今回の役は比較的似ていると感じている。僕はいつも役の中に自分らしさを探すように意識しているんだ。人間は、美しく、愛情深く、残忍で、思慮深く、無思慮で、無神経で、繊細な側面をすべて持ち合わせていると僕は信じている。すべてを受け入れて、その役に必要な顔を適用すればいい。 Q.悲しみの受け入れ方は人それぞれです。自分の気持ちを感じることができず、次第に感情を吐き出せるようになる役を演じるのは、いかがでしたか? A.この映画のそこが最も好きなんだ。この脚本のね。脚本を読んだ時、最初のシーンで乗っていた車が事故に遭い、“こういう映画は見たことあるぞ”と思ったんだ。どうしてもオリジナルな要素を探してしまうからね。“そうか、そういう流れから始まるんだ。妻を失う夫の話はあまり見たくないかも”と。でも読み続けるにつれて、“本気か?!”と、まったく違う方向に連れて行かれた。最後までたどり着き、“何て楽しい旅なんだ”と感じたよ。デイヴィスは無神経な嫌な奴と感じることもあるし、僕がしないようなことをする場合もあるけど、終始伝えようとしているのは喪失感なんだ。それをどう表現するかだ。もう一つは、喪失する前に手放してしまった自分をどう見つけるかだ。デイヴィスは自分自身を失ってしまっている。周囲の期待通りに結婚をして、仕事にも就いた。周りの期待に応えて自分を作り上げ、周りの期待に応えて立派な家も建てた。でも実はどれも本当のデイヴィスではないんだ。だから大きな喪失を経験した時、“僕の感情はどこに行ってしまったんだ?”と気付かざるを得ない。“はるか昔に置いてきたままだよ。戻って取りに行ってきな”と。そこである男の子と出会う。デイヴィスが自らの感情を失った頃と同じ年齢の子だ。その子も自らの感情やアイデンティティを探していて、デイヴィスと同じように妙なハチャメチャな振る舞いを見せる。でもデイヴィスは彼に会って自らの感情を見つけていくんだ。デイヴィスは、まるで「不思議の国のアリス」のようだね。“迷子になっちゃった”と。彼は最後のシーンになるまで、自分が迷子になっていることに気づかないんだ。“やばい、僕、迷子だぞ!”って。それがこの映画さ。
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Review 心を組み立て直すためのスピリチュアルな日常生活の冒険 森直人(映画評論家・ライター)
ひとりの人間が大きな苦難や、決定的な喪失に直面することで、新たな人生のかたちを模索し、構築しはじめる。ジャン=マルク・ヴァレ監督が好んで描くのは、そのような物語だ。テキサスのカウボーイがHIV感染を機に治療薬をめぐる制度をパワフルに切り開いていく『ダラス・バイヤーズクラブ』(13年)。自暴自棄に生きてきた女性が荒野を歩くことで心身の内を透明にしていく、瞑想的な旅の過程を追った『わたしに会うまでの1600キロ』(14年)。両作とも“リセット”と呼べるような生き方の転換を通して、人間の再生や解放の可能性を提示する傑作だった。その延長の流れに『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』もある、とまずは位置づけることができよう。しかし内実は、より独特な世界把握で埋められている。主人公のディヴィス(ジェイク・ギレンホール)は“無感覚”に日常生活を送る男だ。数字のみに向き合う金融業に勤め、妻はパーティーで知り合った社長の娘。「なぜ結婚したの?」との問いには「簡単だったから」と答える。社会のコードに自分を当てはめることで、なんとなく日々をオートマティックにやり過ごしてきた―。ジェイク・ギレンホールはパパラッチ役に扮した『ナイトクローラー』(14年)で、“無感覚”に過激な事件映像を撮りテレビ局に売る戦慄の怪演を見せたが、システムに人間性を去勢された現代人という意味ではディヴィスも地続きだろう。この問題は誰も他人事ではなく、ジャン=マルク・ヴァレ作品の中で最も我々一般に近い等身大の主人公像と言えるかもしれない。ディヴィスの契機は、冒頭シーンでいきなり起こる。ショパンの「夜想曲」が流れる中、妻ジュリア(ヘザー・リンド)が事故死する。だが辛い、悲しいという気持ちが発動しない。ようやく“無感覚”という病が鮮明に輪郭化し、自覚された。そこが彼のスピリチュアルな旅の起点。ある日、出勤時の列車の中で、緊急ブレーキのレバーを衝動的に引く。ルーティンの行動を初めて切断し、やがて彼はつぶやく。「どういうわけか、すべてがメタファーになった」。これ以降、映画全体に心象風景的なイメージが大きく混じり、デイヴィスは不思議な日常生活の冒険に突入していく。たとえば象徴的なシーンとして、電化製品や家具などを壊し始めたことを義父である社長フィル(クリス・クーパー)に注意されるくだりが挙げられよう。ディヴィスは「仕組みが気になるんです。分解して、部品を並べたい」と答えるが、これは彼の再生に向けた初期過程、さらに映画の話法についての自己言及と言える。心を組み立て直すために、一度パーツごとにバラして並べてみる。この解体志向がオーソドックスなドラマ構造を取っていた『ダラス・バイヤーズクラブ』や『わたしに会うまでの1600キロ』と異なるところだが、むしろラディカルな抽象化の作業はジャン=マルク・ヴァレ本来の持ち味でもあるだろう。自販機会社の顧客課の女性カレン(ナオミ・ワッツ)との交流により、ディヴィスは自分の人生を逆照射してくれるひと組の親子に出会う。無関係に思えたふたつの世界が因果的に接続される構造は、監督がオリジナル脚本で撮った『カフェ・ド・フロール』(11年)に近い。カレンはシングルマザーで、多感な15才の息子クリス(ジュダ・ルイス)を抱えている。彼はアフガニスタンの軍事駐留について学校で語り、停学を喰らった問題児。自宅の部屋では60年代米国のガレージロック・バンド、チョコレート・ウォッチバンドの“It’s All Over Now,Baby Blue”(ボブ・ディランのカヴァー)を爆音で鳴らす。ガレージでは70年前後に活躍した英国のハードロック・バンド、フリーの“Mr.Big”に合わせてドラムを叩きまくり、そのリズムがディヴィスにも伝播する。他にもカレンが好きなハートの“Crazy on you”など、ポップ・ミュージックを中心とした楽曲を配して登場人物たちの個性や心性、状況を語るのはジャン=マルク・ヴァレの得意技だ。果たして、ディヴィスの奇妙な心の旅はどのような結末を迎えるのか。妻ジュリアの存在を、彼はどのように認識し直すのか。この夫婦のかたちは、西川美和監督の『永い言い訳』(16年)とも共通するもの。今日的なテーマを実に繊細な手つきで扱い、我々を自己修復や他者との関係性にまつわる考察へと導いてくれる一本だ。
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突然妻を亡くした主人公ディヴィスが破壊しながら本来の感情を取り戻していく。解体されていくのは、ディヴィスの心そのものだと感じました。狂気じみていく様子は怖くもあるけれど、愛を感じずにはいられない不思議な映画でした。
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長場雄/Yu Nagaba

1976年東京生まれ。東京造形大学卒業。
人物の特徴を捉えたシンプルな線画が持ち味で、インスタグラムに毎日1点作品をアップしている。広告、書籍、アパレルなど幅広く活動中。主な仕事に、『POPEYE』カバーイラスト、『Beams×Starwars』コラボTシャツ、『東京メトロ』マナーポスターなど。

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う preloader